四カ字豊年祭

旧暦の六月、八重山の各島々では豊年祭が行われます。豊年祭は五穀豊穣を神に感謝するとともに地域住民の健康祈願をするお祭りです。
石垣島の新川、登野城、石垣、大川地区が合同で行う四カ字(しかあざ)豊年祭(プーリィ)は、八重山各地で行われている豊年祭の中で最大規模のものです。
台風などの自然災害、悪霊たちの魂を鎮める、神を敬うなどの人々の切実なる願いがさまざまな形で込められ演じられています。

石垣の市街地を取り囲む、四ヶ字と呼ばれる新川、登野城、石垣、大川地区はもともとはひとつの集落でした。1675年、石垣村が登野城村に分かれ、その後、登野城村から大川村、石垣村から新川村が分離しました。

四カ字の豊年祭が何時の頃から始められたのか、正確には分かりません。現在のような形で四ヵ字豊年祭が行われるようになったのは1780年頃からともいわれています。明治26(1893)年に八重山を訪れた笹森儀助の「南島探検」に祭りの様子が記されています。また、真乙姥御嶽及びその周辺で繰り広げられる村プール(豊年祭)に関する記述は明治32(1899)年に確認されています。さらに大正6年8月5日の「先島新聞」では
「去る七月三十一日四個の新川御嶽の前で穂利祭(豊年祭)を行った。」とあります。記事によると、「豊年祭祝典並びに旗頭・巻踊り奉納(奉納願)・五穀の種子授けの儀」「アヒャーマ綱」「ツナヌミン」「大綱曳」と現在と同じように展開されていたようです。
祭りは2日間行われます。初日は各字にある御嶽で行われるその年の収穫物への感謝儀礼で御嶽(オン)ですることからオンプール(オンプーリィ)、2日目は新川にある真乙姥まいつば御嶽で行われる翌年の豊年を願う予祝儀礼で村をあげて行うことからムラプール(ムラプーリィ)といいます。

ムラプーリィは新川にある真乙姥(まいつば)御獄でのエンヌユーニガアイで始まります。この先一年の豊年などの祈りを込め、旗頭、太鼓隊、巻踊を奉納します。鮮やかで、竿も長く、デザインが豊かな八重山の旗頭は、各字が持ち寄った奉納物のひとつ。村々の祈りが込められたさまざまな旗文字が書かれています。

請福 ふくをこう  福の世を請い願う
祈豊 いのるゆたか 豊穣を祈る
天恵豊 てんけいゆたか 天の神々の恵みが豊かさをもたらし、来夏世の豊作を祈る。
瑞雲 ずいうん 恵みの雨をもたらし豊穣であるように
祈豊穣 いのるほうじょう 穀物がよく実ること
五風十雨 ごふうじゅうう ものを潤し育てる恵みの雨
豊潤 ほうじゅん 豊かな潤いを祈る
和衷協力 わちゅうきょうりょく 心から協力し合い平和を願う
弥勒世 みるくゆ  人の世の災禍を払い、人々に幸福をもたらす
瑞雲慈雨 ずいうんじう 瑞雲を呼び、慈雨に恵まれ万物の豊かさを祈る
庶穂 しょすい 甘庶の順調な生育を祈る

巻踊りの『マキ』は、血族を中心としたグループを指し、マキ踊りは血族の踊りとも言われます。
踊りの先頭は男童二人が持つ竹笹に旗をくくった標旗(しるしがた)です。
巻踊りの後は旗頭、太鼓などがあり、女達のガーリィ(乱舞)が行われます。これは神を向かえるための鎮魂と祭祀空間の清浄のためです。