モーシーの伝説

黒島は、石垣島から南南西17kmに位置し、石垣島から高速船で25分ほどで到着します。

石垣島を旅行した際にはぜひ訪れたい島です。

この黒島は「牛の島」としても知られ 島の形がハート型なので、ハートアイランドとも呼ばれています。

さて、いまから150年ほど前、黒島の南のはずれにある仲本村に、多良間真牛(たらまモーシー)という青年がいました。

父親と一緒にサバニに乗っては西表島にわたり、農作業をしていました。

黒島では米が作れないので、人々は舟で西表島に渡り、そこで稲を植えていたのです。

ある日、真牛は、父の具合が悪いので、その日は午後から一人で西表島の畑へ出かけていきました。

ところが、同じ村の農夫が西表島に来てみると、先に来ているはずの真牛の姿がありません。

みんなで真牛を探しましたが真牛の行方は分かりませんでした。

農夫は黒島に引き返し、 真牛の家へ行きましたが、戻ってきていませんでした。

病で伏せていた父親も、じっとしていられなくなり、起き上がって、真牛の安否を気づかいます。

そこへ、となりの新城島に、黒島の舟が一艘流れついたという急報が届きました。

父親はいてもたってもいられず、村の若者たちと一緒に新城島にかけつけました。

それは間違いなく真牛父子が使っていたサバニでした。

父親はがっくりと肩を落とし、黒島へ帰り、息子の位牌をたてて、霊を弔いました。

それから半年ほどたったある日、海から一人の男が泳いできました。

それは、半年前行方不明になった真牛でした。

海で死んだはずの多良間真牛は、こうして懐かしい黒島のわが家に戻ってきたのです。

しかし、真牛は六ヶ月もの間、いったいどこでなにをしていたのでしょうか。

役人が真牛に 聞いたところ、半年間南の海のかなたにある無人島でくらしていて、毎日毎日黒島に帰りたいと願っていたそうです。

するとある日、寝ているときに、白いひげの老人が現れ、「陽が昇る頃、海へ出て背のとどくあたりまで進むが良い」といいました。

次の日お告げの通りに海へ入っていくと、急に大きな影が現れました。

必死でその影にしがみつくと、それは3メートル以上はあろうかという大きなフカ(サメ)でした。

背ビレにしがみついていると、フカは水しぶきをあげて一直線に大海原を走りだしました。

そして、黒島の珊瑚礁の近くまでくると、体を大きくゆすって海の中に消えていったということです。

こうして半年ぶりに真牛は黒島に帰ってきたのです。

この話を聞いた琉球王は、「真牛が徳の高い人間だからだろう」と、真牛の家族にたくさんの褒美をあたえました。

以来ずっと真牛の子孫や親戚はフカに感謝し、決してフカの肉を食べないそうです。