真世加那志(まゆんがなしー)とは、川平で陰暦9月の戊戌(つちのえいぬ)の日前後に行われる節祭りに来訪する神です。青年たちが覆面をして蓑・笠をつけてこの神に仮装し、家々を回って豊作・幸運を祈ります。
石垣島の昔話では、この神にまつわる物語があるので紹介したいと思います。
それは、のちに川平の村に合併された仲間村がまだ一つの村であったくらい
昔むかしの時代の節祭りの日でした。
村の賑わう祭りの日の夕刻に、北の海で難船して みすぼらしい格好をした旅人が命からがら辿り着いた家に
「今晩泊めてほしい」と懇願して回っていました。
お祭りで浮足立っていた村人は、旅人を泊めるどころか相手にもしませんでした。
村の南端にある一軒に 最後の一途の望みをかけて旅人は訪れました。
「村のすべての家を回ったが断れつづけ、最後にここに辿り着きました。どうか一晩だけでも泊めてもらえないだろうか。」
と聞いて家の主人は同情をして
「このような貧しい家でもよかったら。」
と答えたのでした。
「ほかの家は賑やかですが、この家は少し淋しい気がいたします。何か理由でもあるのでしょうか。」
と旅人が尋ねると
「たしかに貧しくても、私は火と水さえあれば満足なのですよ。」
と主人は答えました。
夜中になって ふと目を覚ました主人は庭で神詞を唱える旅人を見ました。
とても恐縮した主人は、唱え終わった旅人に
「こんなものしか ありませんが。」
とお茶を出すと、旅人はこう語りました。
「私は人間ではありません。天の神の命を受け、心正しき人間に諸物づくりの福を授けるために使いに来ました。
あなたは必ずこの先幸福になりますよ。来年、戊戌(つちのえいぬ)の日にまた来ます。」
すると旅人の姿が瞬時に見えなくなってしまいました。
旅人の宣言通り、この主人の作物は常に豊作が続き牛や馬を買えるようにもなりました。
神とその天使に対する感謝を忘れることなく再会の日を迎えました。
天の使いに深々と頭を下げて心からお礼の意をあらわし、また来年の再会を約束したのでした。
なおも大豊作が続き家運もますます上昇すると、村人は繁栄する様子を不思議がるようになりました。
そして主人から真世加那志の天使の来訪や神詞を授けてもらったことを聞きました。
村人全員が天の神への信仰を切望している旨を、3年目の来訪の際に伝えると天の使いは
「村全体の神の信仰こそ、私天の使いの目的です。これからはもう来訪するには及びません。
神の代理として…」
と神詞の朗唱のやり方をこと細かに伝えたのでした。
そして天の使いは たくさんの土産と共に満足そうに姿を消したのでした。