以前このブログの中でもご紹介した四カ字豊年祭(http://ishigakilegend.net/pury.html)。
この祭りの中で『アヒャーマ綱(アヒャー綱)』というイベント(?)が催されます。
このアヒャーマ綱の誕生にも深いお話があるようです。
昔々、新川村と石垣村というように分けられていなかった頃のお話です。
あるところに、誰もが認める航海術を持った青年がいました。
彼は誰よりも迅速かつ慎重に海を渡ることができたので、琉球王府に貢物を届けるといった大事な役目は彼が担っていました。
そんな彼を村の人たちは「ウネトウジ」と読んでいました。
このウネとは船、トウジとは船頭のことです。
このトウジには妻がいました。
船乗りの夫の安否はいつも心配でたまりません。
彼女は毎日、真乙姥御嶽の神様に夫の無事を祈っていました。
そんな夫思いの彼女だったのですが、ある日失明してしまいます。
そのため生活面でも困難になることもあったり、船乗り時の祈祷にも行けずに困った夫妻は相談して第二夫人をもうけることになったのです。
それからは、トウジが船乗りする時は二人の妻が祈祷に行くようになりました。
こんなの現代だったら許されない行為ですよね!
妻たちはどんな気持ちだったんだろう・・・という私の個人的な感想は置いておきましょう。
そんなある日、トウジが遭難してしまいました。
1年経っても音信は途絶えたままでした。二人の妻は来る日も来る日も真乙姥御嶽へ祈祷に参り、「もし無事に帰ってきたら恩返しに綱引きをする」と祈願しました。
数日後、本妻が「長崎の方向に灯りが見える。夫が帰ってきたのではないか。」と言いました。
先ほども述べたように本妻は失明してしまっている身。
「盲目の本妻が見えたのなら神様の知らせではないですか。」と第二夫人はこたえます。
そして翌朝、浜に行ってみると、なんと夫の船が帰っていたのです。
2人の妻は大喜びで、真乙姥御嶽へ向かいました。
綱引き用の綱がなく、井戸の紐を外して縄を作り綱引きをしました。
その後、彼女らに倣い、船乗りの妻たちは夫の安全を祈って願掛けをし、無事に帰ってきたらお礼参りをして綱引きをするようになりました。
なにはともあれ、めでたしめでたしです。
アヒャーマ綱のアヒャーとは女性、マは愛称のようです。
この話のように妻たちがすることから「貴婦人の綱引き」なんて呼ばれていたりもするそうです。
現在でも女性だけで綱引きを行なわれていますが、結構な迫力があります。
よく子どもの運動会でPTAたちが綱引きをしたりしますが、そんな感じの迫力です。
大人の綱引きってなんだかスゴイ。
綱引きひとつにもこんな良い話があるなんて、やっぱり石垣島は奥が深い。
こんなことも踏まえて、沖縄旅行でアヒャーマ綱を観に行くのもいいのではないでしょうか。